Sunday, February 21, 2016

うん、大丈夫!

アメリカの家族のもとでの一ヶ月の日々。
過ぎてしまえば、あっという間でしたが、やはり、色々学んだ日々でした。

アメリカを出てから、或いは、その数年前から、自分が囚われていた負の回路?から、やっと出られたという事でしょうか?

一体何が悪くて、このようになってしまったの?
どうしてわかってくれないの?
という、否定的な考えの中からは、何も生まれないこと。
他のことが何一つ見えてこないこと。
何一つ見えてこないから、何もわからなくて、だから、どうしたらいいのかもわからない、一步も進めない、そして、そんな自分を自分自身が一番嫌になる、という悪循環。

でも、その過去が例え嫌なことであっても、自分のしたことの責任?をきちんと認めて(ごちゃごちゃ言い訳をしない)、受け入れて、そして、そこから、初めて、未来に目を受けて、新しく出発しよう、と決められた時に、全てが変わりました。
〜実は、そのことに向き合うことを、私自身、最も怖れていて、なんとか、やり過ごしてしまえないだろうか、と、正面から向わずに来ていたのかもしれないのですが〜

同じ言葉を聞いても、まず、相手が何を伝えようとしているのか、に焦点をあてて真剣に耳を傾けることができるようになると、以前とは違った観点で受け取ることが出来ること。
以前の私は、おそらく、相手を責める材料をみつけようとしていたのでしょうね、だから、言いがかりをつけたり、相手の言葉を途中で遮ったりして、途中で話が決裂することもしばしばありました。

結局のところ、自分の心のなかの問題は、家族といえども、誰かが解決してくれたり、してもらうことではないのに、私はそれを期待したり、ある意味、当然と思っていた部分もあったでしょう。
そんなだから、そうしてもらえないと、不安や不満が募り、ますます、相手に何かを要求するようになってしまう。その繰り返し。

自分で解決するしかないことがわかるようになるまで、最低限、必要な時間、場所、物質面を与えてくれていたこと。
そのことに感謝の気持ちもなく、当時は、何もしてくれない、私は必要ない人間なんだ、と、勝手に自分で思い込み、自分自身を自分で追い込んでいただけだったのかもしれません。
何もしてくれない、のではなくて、勝手に私の問題に土足で踏み入ることをしなかっただけのこと、それは、私の存在を尊重してくれていることでもあったのに、です。

この数年間、多くの方たちに祈っていただいてきました。
頭の中がごちゃごちゃしていて、自分でも何を言っているのかさえ、わからない、自分の発した言葉の影響や責任など勿論考えてもいない、というような、ひどい状況に、付き合ってくださいました。
この場をお借りして、あらためて、心より、ありがとう!

まだまだ、これからも気持ちの上下は多々あることと思います。
でも、これは、私の生まれつきの性分なのかもしれませんが、
「うん、大丈夫、なんとかなる。」
という気持ちが、随分と小さい頃から、私の中にあるようです。
のうてんき、とも言える。
(でも、そうでもなきゃ、30年以上も前になるけど、トランク2つだけ下げて、誰も知らないアメリカに行ったりできないよね〜)

これからの残りの人生、どこで何をしてゆくのか。
まだわからないけど、出来ることから少しずつ、前に向かって。
神様は、耐えられない試練は決してお与えにならず、いつも最善の時に、最善の方法で、道を開いてくださるのだから。
だから、きっと、大丈夫!
そして、自分を大切にすること、そうする事がしいては、全ての人々に、物事に誠実に接することが出来る生き方に繋がることを、アメリカの家族の生き方から学んだことも大きなことでした。