6月12日~30日まで、一年ぶりに、アメリカの自宅で過ごしました。
先ず、13日に、長女の卒業式があったので、羽田からLAXへ飛びました。
彼女は、小さい頃から、ある面、とても独立心の旺盛な娘でした。
小学校三年生の時、アメリカの学校と、当時通っていた日本語の補習校の両校で、
「もう一年、同じ学年をしたい。」
と、言いだしました。
「今までずっと一緒だったお友達と違う学年になっちゃうのよ。」
と、言っても、
「クラスの中で授業が分らないのは嫌だから、もう一年やってみる。」と。
アメリカの学校は、三年生を二年間しましたが、その後の様子を見ると、
それは、彼女にとって、正しい選択でした。
当時の校長先生はそのことに好意的ではありませんでしたが、
彼女の担任の先生初め、何人かの先生たちが、彼女の気持ちをとても尊重して、
心底、応援してくれたことも、忘れられません。
大学も、紆余曲折、結局、卒業まで、三年多くかかりましたが、
専門は一貫して同じ、納得の行く学校を卒業できて、よかったと思います。
三年多く、と言えば、その時は、長いようですが、
長い人生の中では、ほんの僅かな期間なのですものね。
本当に、心より、おめでとう!
「何でも出来る、一人で出来る!」
・・・これが、2,3歳の頃の彼女の口癖でしたっけ。
それから二週間後の27日には、長男の卒業式がありました。
日本では、動物介護士にあたるのだと思いますが、彼も、また、
ここに至るまで、きっと沢山の自問自答があったのでしょう。
でも、あせらず〔表面上は、そう見えました)、マイペースで、
自分の道を捜せたことは、素晴らしいと思います。
子供の頃、バークレーのラボラトリーや、リトルファームに、
動物を見にいったことが、懐かしく思い出されます。
本当におめでとう!
その合間に、友人たちに会ったり、
久しぶりにYMCAでヨガのクラスに出て旧交を温めたり、
一年ぶりに我家のパン工場?でパンを焼いたり、
福祉施設を見学させて頂いたり。。。。
と、あっという間の盛り沢山の日々でした。
日本に住んでからの一年、本当に、信じられないほど、
次から次へと、幕がひとりでに開いてゆくように、
生活が、少しずつ、調えられてゆきました。
沢山の素晴らしい方たちに助けていただいたこと、
自分では思いもかけないことでしたが、生きがいと思える仕事にめぐり会えた事。
その全てが、どれも大切な、愛おしいものです。
そして、喜びと不安の入り混じった一年ぶりのアメリカ。。。。
以前にはそれほど気が付かなかったこと
・・・それが、どんなに些細なことであっても・・・
アメリカの善さ、温かさとでもいうのでしょうか。。。
ああ、私は、こんなに沢山のことをミスしてしまったのかなあ、と思いました。
生まれてから29年間過ごした日本。
そのあとの29年間を過ごしたアメリカ。
さて、次の29年間(?)は、私はどのように過ごすのでしょう?
アメリカの今の家は、去年まで20年間、住んだ家でした。
それは、わたしの人生で一番長い間過ごした、思い出一杯の家であり、町でした。
でも、目に見えない、大いなる力に導かれるように開かれていった、
新たな日本での生活を思う時、
これは一体、どのような意味が示されているのだろうか、、、と想うのです。
心は家族のいるアメリカに馳せてしまいがちですが、
今は、ここで、自分なりの生き方を、
自分ひとりで、真剣に捜す過程にいるのかもしれません。
子供たちもしてきたように、納得の行くまで、自問自答して、
でも、大いなるお方の言葉に心の耳を傾け、
最後はその方に心から信頼して、ゆだねてゆく人生。
少し前に、近くの教会で催された伝道集会に参加した時の牧師先生の言葉を紹介しますね。
「すべての条件が調ったときに、自然に道が開かれてゆくのです。
それは、あらかじめ、神様があなたのために用意されていた道なのです。
その方を心から信頼してゆく時に、あなたの生き方もかえられてゆくのです。」
Sunday, July 13, 2014
Tuesday, May 20, 2014
葡萄園のたとえ話
早くも初夏を思わせるような日が続いていますね。
さて、5月18日の聖日礼拝は、マタイによる福音書、20章1~16節の葡萄園のたとえ話からのお説教でした。
講師は、お招きした、関田寛雄牧師です。
たとえ話のあらすじは、こんな感じです。
ある家の主人が、忙しい葡萄の借り入れ時に、労働者を雇うために、夜が明けると同時に出かけてゆきました。
一日1デナリ(当事の最低賃金だそうです。)の約束をして、労働者を葡萄園に送りました。
まだ、人手が足りなかったので、九時ごろ、十二時ごろ、三時ごろにも出かけてゆき、同じように、労働者を雇いました。
最初から働いていた者達は、自分たちはもっともらえると思っていると、彼らも、1デナリずつもらっただけでした。彼らが文句を言うと、最初に1デナリの約束をしたこと、最後のものにも同じように払ってあげたいこと、自分のものを自分がしたいようにするのは、当然である、と言いました。
礼拝のメッセージの焦点→最後に雇われた労働者たち。
「なぜ何もしないで、一日中立っていたのか。」と聞いた主人に、
「誰も私たちを雇ってくれませんから。」と答た彼ら。
私は今まで、彼らが、ただ立っていただけで、一日中、何もしなかった、
いわば、怠け者のように思っていました。
ところが、関田先生のお話は、こうでした。
1)一日幾らなりで雇われる、と言うのは、保障されている人生です。
誰にも雇われない、と言うのは、不安なさすらいの人生。
どんな想いで、彼らが、「誰も雇ってくれないのです。」と、言ったのか、
彼らとて、一日中、其処に立っていただけではなく、仕事捜しに一日を費やしていたのであろうが、それでも仕事が見つからなかったというのは、どれだけ、不安であっただろうか、と言うことに、気がつき、その想いを分ることが大切。
2)1デナリ=一日生きてゆく為の最低賃金であるのなら、それは、いのちの証しであること。
だから、たとえ一時間しか働かなかったとしても、いのちの尊厳性には差別はないこと。
3)一日中働いたものと、一時間しか働かなかったものへの賃金が同じである、というのは、
法律上の掟には、反するかもしれない。
けれど、それよりも上の掟=神の国の掟=汝の隣人を愛せよ、という掟に従ったと言うこと。
4)それが、神の国(国境のある空間ではなく、神のありの有る処全て)である。
仮に、どんなに豪華な家に住んでいたとしても、其処に住んでいる者の間に、愛がなければ、単なる HOUSE であって、HOME ではないこと。
5)神の前では、全ての人間は等しい祝福が与えられていることを表すために、
このたとえ話が話されたこと。
このたとえ話は、何度も聞いたことがありましたが、
このように、最後になった者の、それまでの想いに、気持ちをはせたのは、
はじめてのことで、新鮮な驚きがありました。
聖書の深さを思うと同時に、それは聖書の中だけのことではなく、
日常生活においても、自分の発した言動が、相手にどのような想いを与えるのか、
また、誰かが、自分に対して言ってくれた言葉や行動にも、
もしかしたら、自分には思いも至らない、
その人の想いがこめられているのかもしれないこと。
まだまだ、私には、その気持ちが足りないことを、思いました。
さて、5月18日の聖日礼拝は、マタイによる福音書、20章1~16節の葡萄園のたとえ話からのお説教でした。
講師は、お招きした、関田寛雄牧師です。
たとえ話のあらすじは、こんな感じです。
ある家の主人が、忙しい葡萄の借り入れ時に、労働者を雇うために、夜が明けると同時に出かけてゆきました。
一日1デナリ(当事の最低賃金だそうです。)の約束をして、労働者を葡萄園に送りました。
まだ、人手が足りなかったので、九時ごろ、十二時ごろ、三時ごろにも出かけてゆき、同じように、労働者を雇いました。
五時ごろに行くと、まだ、立っている人々がいたので、彼らも、葡萄園に送りました。
夕方になって、仕事が終わった時、主人は、先ず、最後に送られてきた労働者に賃金を、1デナリ払いました。最初から働いていた者達は、自分たちはもっともらえると思っていると、彼らも、1デナリずつもらっただけでした。彼らが文句を言うと、最初に1デナリの約束をしたこと、最後のものにも同じように払ってあげたいこと、自分のものを自分がしたいようにするのは、当然である、と言いました。
礼拝のメッセージの焦点→最後に雇われた労働者たち。
「なぜ何もしないで、一日中立っていたのか。」と聞いた主人に、
「誰も私たちを雇ってくれませんから。」と答た彼ら。
私は今まで、彼らが、ただ立っていただけで、一日中、何もしなかった、
いわば、怠け者のように思っていました。
ところが、関田先生のお話は、こうでした。
1)一日幾らなりで雇われる、と言うのは、保障されている人生です。
誰にも雇われない、と言うのは、不安なさすらいの人生。
どんな想いで、彼らが、「誰も雇ってくれないのです。」と、言ったのか、
彼らとて、一日中、其処に立っていただけではなく、仕事捜しに一日を費やしていたのであろうが、それでも仕事が見つからなかったというのは、どれだけ、不安であっただろうか、と言うことに、気がつき、その想いを分ることが大切。
2)1デナリ=一日生きてゆく為の最低賃金であるのなら、それは、いのちの証しであること。
だから、たとえ一時間しか働かなかったとしても、いのちの尊厳性には差別はないこと。
3)一日中働いたものと、一時間しか働かなかったものへの賃金が同じである、というのは、
法律上の掟には、反するかもしれない。
けれど、それよりも上の掟=神の国の掟=汝の隣人を愛せよ、という掟に従ったと言うこと。
4)それが、神の国(国境のある空間ではなく、神のありの有る処全て)である。
仮に、どんなに豪華な家に住んでいたとしても、其処に住んでいる者の間に、愛がなければ、単なる HOUSE であって、HOME ではないこと。
5)神の前では、全ての人間は等しい祝福が与えられていることを表すために、
このたとえ話が話されたこと。
このたとえ話は、何度も聞いたことがありましたが、
このように、最後になった者の、それまでの想いに、気持ちをはせたのは、
はじめてのことで、新鮮な驚きがありました。
聖書の深さを思うと同時に、それは聖書の中だけのことではなく、
日常生活においても、自分の発した言動が、相手にどのような想いを与えるのか、
また、誰かが、自分に対して言ってくれた言葉や行動にも、
もしかしたら、自分には思いも至らない、
その人の想いがこめられているのかもしれないこと。
まだまだ、私には、その気持ちが足りないことを、思いました。
Saturday, April 5, 2014
日本の春、桜満開!
今日、4月5日は、末娘、彩の23歳の誕生日です!
最後の赤ちゃん、と言うこともあって、心行くまで母乳で育てよう!と
思っていたのですが、そんな母親の思惑など勿論気にせず、、、
8ヶ月の時に、風邪で発熱したその時、自分から勝手に?段乳。
意志が強く、自分で決めて行動、はこんな赤ちゃんの時から。
日本の春、桜が満開になり、お花見に最適な一週間となりましたね。
仕事が新年度が2日から始まる、ということで、1日が休みだったので、
妹が、母と私をお花見に連れて行ってくれました。
桜の木々が密集して咲いているさまは、本当に幻想的、
「日本昔話」のテーマソングが耳元にきこえてきそうな。。
桜の花の淡い薄墨がかったピンクと青い空の相性のいいこと!
(と、これは、母の言葉ですが。。)
今、こうして日本で生活していることの意味の一つに、
色々な問題を抱えている実家の問題もなんとか、、と、気負っていた私。
でも、この日、お弁当を食べながら、綺麗な桜を見ながら、
昔話など三人でしていて・・・
その想いが自然と消えてゆきました。
こうして、毎年、両親を仕事の合間を縫って、お花見をはじめ、
色々として来てくれていた妹。
その事が実感として迫り、彼女への感謝の気持ちがあふれました。
きっと、このように、実家のみんなとの時間を過ごすこと、
それが、問題云々、、よりずっと大切なこと。
自分のありのままをそのまま、先ずは受け入れてみる、といいながら、
この家族の中で私は育ったのだ、ということを忘れていたかな?
育ててくれた両親への感謝、一緒に色々な思い出を作ってきた妹と弟。
例え、どんな問題があったとしても、まず、その前に、穏やかな気持ちで受け入れる。
そのことによって、忘れていた感謝の気持ちや懐かしさ。。。が思い出される。
問題を解決する、のではなく、先ずは、そこからの出発。
誰かを裁くことも、非難することも、ましてや、自分が何かしてあげる、
などというのは、なんと傲慢なことだろう、と。
自然の力はすごいなあ~~
強く主張するのでもなく、ただ、そこに、ありのままの自然な姿でいるだけなのに、
こうして、色々なことを教えてくれる。
やはり、それらを創造された大いなる方の、何時も送られてきているメッセージなんですね。
最後の赤ちゃん、と言うこともあって、心行くまで母乳で育てよう!と
思っていたのですが、そんな母親の思惑など勿論気にせず、、、
8ヶ月の時に、風邪で発熱したその時、自分から勝手に?段乳。
意志が強く、自分で決めて行動、はこんな赤ちゃんの時から。
日本の春、桜が満開になり、お花見に最適な一週間となりましたね。
仕事が新年度が2日から始まる、ということで、1日が休みだったので、
妹が、母と私をお花見に連れて行ってくれました。
桜の木々が密集して咲いているさまは、本当に幻想的、
「日本昔話」のテーマソングが耳元にきこえてきそうな。。
桜の花の淡い薄墨がかったピンクと青い空の相性のいいこと!
(と、これは、母の言葉ですが。。)
今、こうして日本で生活していることの意味の一つに、
色々な問題を抱えている実家の問題もなんとか、、と、気負っていた私。
でも、この日、お弁当を食べながら、綺麗な桜を見ながら、
昔話など三人でしていて・・・
その想いが自然と消えてゆきました。
こうして、毎年、両親を仕事の合間を縫って、お花見をはじめ、
色々として来てくれていた妹。
その事が実感として迫り、彼女への感謝の気持ちがあふれました。
きっと、このように、実家のみんなとの時間を過ごすこと、
それが、問題云々、、よりずっと大切なこと。
自分のありのままをそのまま、先ずは受け入れてみる、といいながら、
この家族の中で私は育ったのだ、ということを忘れていたかな?
育ててくれた両親への感謝、一緒に色々な思い出を作ってきた妹と弟。
例え、どんな問題があったとしても、まず、その前に、穏やかな気持ちで受け入れる。
そのことによって、忘れていた感謝の気持ちや懐かしさ。。。が思い出される。
問題を解決する、のではなく、先ずは、そこからの出発。
誰かを裁くことも、非難することも、ましてや、自分が何かしてあげる、
などというのは、なんと傲慢なことだろう、と。
自然の力はすごいなあ~~
強く主張するのでもなく、ただ、そこに、ありのままの自然な姿でいるだけなのに、
こうして、色々なことを教えてくれる。
やはり、それらを創造された大いなる方の、何時も送られてきているメッセージなんですね。
Thursday, March 20, 2014
パン焼けています~!
オーブンを購入して、
昨日、大家さんが、使ってないから、
「よかったら使って。」、と
パン焼き器を貸して下さいました。
さて、これで、役者が勢ぞろい。
それで、今日は、パン焼きの一日でした。
シンプルな比較的リーンは生地で、4種類。
プレイン、クランベリー、ハーブ、
そして、ゴマ味。
材料を計量して、生地をパン焼き器で
ある程度まで捏ねて、
様子を見ながら、
手で捏ねて調整して。
一時発酵は、オーブンの中、と
発砲スチロールの中の二箇所で。
それぞれの生地を丸パン2個と、
バゲット風1本に分割して丸め。
ベンチタイムの後、成形、最終発酵。
そして、焼成。
早速大家さんにもおすそ分け。
私も夕食に食べていたとき、
大家さんから電話で、美味しかったって。
あ~~よかった。
しばらく、また、
パン焼きの日々が続きそうです!
「よかったら使って。」、と
パン焼き器を貸して下さいました。
さて、これで、役者が勢ぞろい。
それで、今日は、パン焼きの一日でした。
シンプルな比較的リーンは生地で、4種類。
プレイン、クランベリー、ハーブ、
そして、ゴマ味。
材料を計量して、生地をパン焼き器で
ある程度まで捏ねて、
手で捏ねて調整して。
一時発酵は、オーブンの中、と
発砲スチロールの中の二箇所で。
それぞれの生地を丸パン2個と、
バゲット風1本に分割して丸め。
ベンチタイムの後、成形、最終発酵。
そして、焼成。
早速大家さんにもおすそ分け。
私も夕食に食べていたとき、
大家さんから電話で、美味しかったって。
あ~~よかった。
しばらく、また、
パン焼きの日々が続きそうです!
Wednesday, March 19, 2014
オーブンのある幸せ。
こちらに来てから、ず~~と、我慢してたけど、
なくっても何とかなるさ・・と言ってはいたけど。
実は、欲しかったオーブン。
引越しを機に、最低限の家電製品を中古で探していて、色々と悩んだ挙句に
購入する冷蔵庫を決めた時、ふっとすぐそばに、電子レンジとオーブンの機能の
両方が備わっているものを発見!!
新品だと、数万円していたので、ちょっと無理、と一端は、あきらめていたのですが、
その何分の一かのお値段で、
「私、ここにいるよ~~」
とでも言うかのように、置いてあったのでした。
中古だったので、説明書がなかったのですが、
そして、この頃のものは、沢山の番号がついていたりして複雑そう・・・なのですが、
な*ん*と*か、ケーキが焼けました!
丁度その晩、参加している友の会の方からお電話で、
4月にパンを焼くお当番が回ってきた、とのお知らせ。
友の会では、集まりがある時に託児の用意をすることがあって、
そこで、お子さんたちに出す、花形パン、と言うパン。
友の会の歴史と同じように、長い間、焼き継がれてきたパンだそうです。
花形になっているのは、小さいお子さんでも、ちぎって食べやすい、との配慮から。
さて、さて、パン焼き始動です!
Sunday, March 9, 2014
南から東へ、新しい生活。
去年のクリスマスイブには引っ越す予定でした。
契約二日前、教会のお友達が素敵なお話を持ってきて下さって、
今の場所が与えられました。
本当に抜群の素晴らしいタイミングでした。
その後、この地では珍しい大雪で、引越しが延期になること二回、
ここでの生活が本格的に始まったのは、2月28日でした。
引越し、といっても同じ町内、というのでしょうか、
同じ地名の最初が南から東に。
もともと少し高台に建っているお家、一階部分がガレージ、二階部分が大家さん、
そしてわたしは、三階部分にお部屋を借りています。
おまけに屋根裏部屋があって、そこは4階??になるのかな。。。
友人の言うとおり、晴れた日、窓から、富士山が本当に見えました。
真っ白に雪化粧した富士山、やはり、姿がいいですね。
アメリカのお友達にも散々自慢したのですが、
なにやら、アルプスの少女ハイデイのような気分の屋根裏部屋。
新しい場所での生活がスタートして、8ヶ月前の自分を思い出しています。
どうしてこんなことになったのだろう?
一体私の何が、どんな風にいけなかったのだろう?
自問自答し、でも解決の糸口さえ見つからず、
だから、いくら考えても、何をどうしたらいいのかさえも分らなかった。
でも、ふっと、
何も分らない、と言うことが分ったことだってよかったんじゃない?
先ず第一歩だったんじゃない?
と思えるようになった。
原因さがし、言い訳などを全部はじいてみた。
言いたい事がたとえ一杯あったとしても、
先ずは、それを消してみる=考えない!
ただ、事実だけを、ありのままに受け入れてみる。
何が悪かったか(過去)、ではなく、
これから、何をしたいか(未来)、そのことに焦点をあてる。
すると、自分がこうしたいから、と言う気持ちを余り持たずに、
生きてきていただろう自分が見え始めてきた。
勿論、嫌なことをしてきたわけではないけど、先ずは自分の気持ちに率直になる、
自分の意思を第一にする、という生き方をしてこなかったので、
本当に好きな人、本当にしたい事等々・・・
段々、どんどん、曖昧になってしまったみたい。
そして、そんな曖昧な、いわゆる自立していない人間がそばにいたら、
どんなに、ストレスになるか、どんなに疲れるか、
そして、そのうちに、もう何も話したくなくなるだろうな・・・と言うことも分ってきた。
今、こうして自分と向き合う時間と場所が与えられていること、
これはこの上もなく、贅沢で幸いな時であることをあらためて感謝しています。
契約二日前、教会のお友達が素敵なお話を持ってきて下さって、
今の場所が与えられました。
本当に抜群の素晴らしいタイミングでした。
その後、この地では珍しい大雪で、引越しが延期になること二回、
ここでの生活が本格的に始まったのは、2月28日でした。
引越し、といっても同じ町内、というのでしょうか、
同じ地名の最初が南から東に。
もともと少し高台に建っているお家、一階部分がガレージ、二階部分が大家さん、
そしてわたしは、三階部分にお部屋を借りています。
おまけに屋根裏部屋があって、そこは4階??になるのかな。。。
友人の言うとおり、晴れた日、窓から、富士山が本当に見えました。
真っ白に雪化粧した富士山、やはり、姿がいいですね。
アメリカのお友達にも散々自慢したのですが、
なにやら、アルプスの少女ハイデイのような気分の屋根裏部屋。
新しい場所での生活がスタートして、8ヶ月前の自分を思い出しています。
どうしてこんなことになったのだろう?
一体私の何が、どんな風にいけなかったのだろう?
自問自答し、でも解決の糸口さえ見つからず、
だから、いくら考えても、何をどうしたらいいのかさえも分らなかった。
でも、ふっと、
何も分らない、と言うことが分ったことだってよかったんじゃない?
先ず第一歩だったんじゃない?
と思えるようになった。
原因さがし、言い訳などを全部はじいてみた。
言いたい事がたとえ一杯あったとしても、
先ずは、それを消してみる=考えない!
ただ、事実だけを、ありのままに受け入れてみる。
何が悪かったか(過去)、ではなく、
これから、何をしたいか(未来)、そのことに焦点をあてる。
すると、自分がこうしたいから、と言う気持ちを余り持たずに、
生きてきていただろう自分が見え始めてきた。
勿論、嫌なことをしてきたわけではないけど、先ずは自分の気持ちに率直になる、
自分の意思を第一にする、という生き方をしてこなかったので、
本当に好きな人、本当にしたい事等々・・・
段々、どんどん、曖昧になってしまったみたい。
そして、そんな曖昧な、いわゆる自立していない人間がそばにいたら、
どんなに、ストレスになるか、どんなに疲れるか、
そして、そのうちに、もう何も話したくなくなるだろうな・・・と言うことも分ってきた。
今、こうして自分と向き合う時間と場所が与えられていること、
これはこの上もなく、贅沢で幸いな時であることをあらためて感謝しています。
Saturday, February 1, 2014
2014年の抱負!?
最後に更新してから、色々なことがありました。
11月3日が、父の誕生日で87歳になったことを書きましたが、
12月20日に、その父が、天国に召されました。
今、思い出すのは、小学生の頃、母が病気になった時に父が作ってくれたお弁当。
確か、なにか五目ご飯に卵焼きなどなど、、、だったように思うのですが、
子供たちの好物だ・け・を詰めてくれて、大好評だったこと。
くり日記という、父が私が生まれる前からのことを書いてくれた日記のこと。
冗談を上手に交えながらの楽しい、分りやすかった父の眼科学の授業のこと。
そして、母の若かりし頃の写真をずっと財布の中に入れていた父の想い・・・
葬儀は、偉大なる方に導かれるように、キリスト教であげることが出来ました。
現在通っている教会の牧師先生が快く引き受けてくださり、温かい式になりました。
前夜礼拝(いわゆる通夜にあたります)が、クリスマスイブ。
みんなで、神様からのメッセージを聞き、
讃美歌(いつくしみ深き、主よみもとに、神ともいまし)を歌い、
白とピンクの綺麗なカーネーションで献花していただき、
そのあとは、来てくださった方たちと、和やかに一緒にお食事をしながら、
お話しするひと時を持つことが出来ました。
葬礼拝がクリスマス当日。
少しプログラムは変わりましたが、同じように神様からのメッセージ、
賛美歌、献花、クリスチャンのお友達も来てくださいました。
子供の頃、おじいちゃんのお葬式で、出棺のまえに、みんなが釘を打つ、ということがあって、
ずっと、辛い思い出となっていたので、私は、それが、とっても嫌でした。
でも、キリスト教の式では、それがなく、本当に、心から、ほっとしました。
だって、父はこの世からは去りましたが、また、天国での再会が約束されていますもの、
釘をうってまで、お別れをする必要はないのですものね・・・
そして、アメリカから、主人も来てくれて、胸があつくなりました。
私はずっと実家で過ごしていましたから、彼と二人で過ごしたのは、
アメリカへ帰るという当日の、数時間でしたが、
一緒にお昼ご飯と夜ご飯を食べて、話をして。。。
ごく、普通のことなのに、その事が、とっても嬉しかったです。
主人の好物のお赤飯を炊いてしまってから、食べる時になって、二人で、
あ、お葬式が終わったばかりだったのにね、、、と思わず笑ってしまったり。
(キリスト教でのお別れができたので、私には永遠の別れ、と言う気持ちがないせいか。。。)
本当に、幸せとか、大切なものって、
自分の気持ちしだい、ごく普通のことの中にも、あることを、
言葉では知っていても、初めて実感したひと時でもありました。
日本に来る前、来た当初も、私は、何がなんだか、ちっともわからなくって、
大きな不安の中に居ました。
わからないことが、辛かったし、何で分らないんだろうって、自問自答の日々でした。
でも、今、思うのです。
自分のことを知るためには、まずすべてをありのままに受け入れること、
そこから始まる、と思っていたのですが、
その前に、というか、その中に、
自分は何も分っていない、ということを、先ずは分る、認識する、
と言うことも、実はとっても大切なプロセスとして、あったのだなあ、ということ。
そのように考えてゆくと、今まで、複雑に絡まっていたかのようだったパズルが、
するっと解けたようにさえ、思える、見えてきたのです。
やっと、少しだけ、自分の心を素直に開放することができたのかなあ~
例えば・・・
何でこんなこと言われなければならないの、、と思っていたことが、
相手が一体どんな気持ちで、伝えようとしてくれていたのか、ということに想いが至り、
その想いが見えていなかった自分に気がつく、
そのことによって、相手の気持ちが別の形となって、見えてくる、というようなことかな?
沢山の方たちの善意、温かさ、神様の御心、沢山の信仰の友たちの祈り・・・
に支えられた2013年でした。
2014年は、その沢山の恵みを、しっかりと身につけて、動く!
そして、本当に自分は何をしたいのか、どうしたら、それが出来るのか、
それが出来るように、いつか、いつの間にかなれたら、、、、
そしたら、また、アメリカの家族の許に帰る日も来るのだろうか、
と、思っています。
11月3日が、父の誕生日で87歳になったことを書きましたが、
12月20日に、その父が、天国に召されました。
今、思い出すのは、小学生の頃、母が病気になった時に父が作ってくれたお弁当。
確か、なにか五目ご飯に卵焼きなどなど、、、だったように思うのですが、
子供たちの好物だ・け・を詰めてくれて、大好評だったこと。
くり日記という、父が私が生まれる前からのことを書いてくれた日記のこと。
冗談を上手に交えながらの楽しい、分りやすかった父の眼科学の授業のこと。
そして、母の若かりし頃の写真をずっと財布の中に入れていた父の想い・・・
葬儀は、偉大なる方に導かれるように、キリスト教であげることが出来ました。
現在通っている教会の牧師先生が快く引き受けてくださり、温かい式になりました。
前夜礼拝(いわゆる通夜にあたります)が、クリスマスイブ。
みんなで、神様からのメッセージを聞き、
讃美歌(いつくしみ深き、主よみもとに、神ともいまし)を歌い、
白とピンクの綺麗なカーネーションで献花していただき、
そのあとは、来てくださった方たちと、和やかに一緒にお食事をしながら、
お話しするひと時を持つことが出来ました。
葬礼拝がクリスマス当日。
少しプログラムは変わりましたが、同じように神様からのメッセージ、
賛美歌、献花、クリスチャンのお友達も来てくださいました。
子供の頃、おじいちゃんのお葬式で、出棺のまえに、みんなが釘を打つ、ということがあって、
ずっと、辛い思い出となっていたので、私は、それが、とっても嫌でした。
でも、キリスト教の式では、それがなく、本当に、心から、ほっとしました。
だって、父はこの世からは去りましたが、また、天国での再会が約束されていますもの、
釘をうってまで、お別れをする必要はないのですものね・・・
そして、アメリカから、主人も来てくれて、胸があつくなりました。
私はずっと実家で過ごしていましたから、彼と二人で過ごしたのは、
アメリカへ帰るという当日の、数時間でしたが、
一緒にお昼ご飯と夜ご飯を食べて、話をして。。。
ごく、普通のことなのに、その事が、とっても嬉しかったです。
主人の好物のお赤飯を炊いてしまってから、食べる時になって、二人で、
あ、お葬式が終わったばかりだったのにね、、、と思わず笑ってしまったり。
(キリスト教でのお別れができたので、私には永遠の別れ、と言う気持ちがないせいか。。。)
本当に、幸せとか、大切なものって、
自分の気持ちしだい、ごく普通のことの中にも、あることを、
言葉では知っていても、初めて実感したひと時でもありました。
日本に来る前、来た当初も、私は、何がなんだか、ちっともわからなくって、
大きな不安の中に居ました。
わからないことが、辛かったし、何で分らないんだろうって、自問自答の日々でした。
でも、今、思うのです。
自分のことを知るためには、まずすべてをありのままに受け入れること、
そこから始まる、と思っていたのですが、
その前に、というか、その中に、
自分は何も分っていない、ということを、先ずは分る、認識する、
と言うことも、実はとっても大切なプロセスとして、あったのだなあ、ということ。
そのように考えてゆくと、今まで、複雑に絡まっていたかのようだったパズルが、
するっと解けたようにさえ、思える、見えてきたのです。
やっと、少しだけ、自分の心を素直に開放することができたのかなあ~
例えば・・・
何でこんなこと言われなければならないの、、と思っていたことが、
相手が一体どんな気持ちで、伝えようとしてくれていたのか、ということに想いが至り、
その想いが見えていなかった自分に気がつく、
そのことによって、相手の気持ちが別の形となって、見えてくる、というようなことかな?
沢山の方たちの善意、温かさ、神様の御心、沢山の信仰の友たちの祈り・・・
に支えられた2013年でした。
2014年は、その沢山の恵みを、しっかりと身につけて、動く!
そして、本当に自分は何をしたいのか、どうしたら、それが出来るのか、
それが出来るように、いつか、いつの間にかなれたら、、、、
そしたら、また、アメリカの家族の許に帰る日も来るのだろうか、
と、思っています。
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