あなたに何か話したいと思っている人が居たときに、
あなたはその方のために時間を取る準備がありますか?
最近、このような言葉が目に留まることが多いです。
今までの自分はどうだっただろうか?
いつも、ばたばたと気ぜわしくしていて、とても、この人と話をしよう、と
思って頂けるような状態にはなかったなあ、、と思い至ります。
どんなに大変なときにも、決して、変わることなく、
柔和になさっている方を、素晴らしいな、と思いつつも、
自分には無理、と決め付けて、日々の生活に追われて、ずっと過ごして来ました。
何時もお忙しいでしょう?
何時もお元気ですね。
そのように、かけて下さった言葉を、そのままに受け取るだけで、
もしかしたら、その中に隠されていたかもしれない意味を分る余裕もなく、
毎日が、あっという間に過ぎてゆきました。
ああ、それこそが、自分には欠けていたのだな、と気がつきました。
毎日何をしていらっしゃるの?
と、問われたときに、なにをしているのだろう、と考えてみた。
何を、どのように、いつしても構わないこのときに、矢張り、変わらずにしていること。
それが、自分がしたいことなのかもしれない。
自分がしたいことだけやってみたらいい、と言われたのは、このことだったのかしら?
日々、読んでいるデイリーブレッドを記します。
この箇所は、大好きなお友達の一人が、私に送ってくださった御言葉です。
今、とっても静かに時の流れる毎日を与えられていることに、
あらためて感謝しつつ。
潮止まり
私たちの生活は忙しく、あれもこれもとしなければならないことが重なり、体がいくつあっても足りないと感じるときがあるかもしれません。イエスの宣教を見てみると、イエスご自身が、主の働き人の責任と休息について、どのように考えておられたのかが分かります。ふたり一組で宣教旅行に行き、帰ってきた12人の弟子たちは、神が自分たちを通して素晴らしいことをしてくださったと報告しました。するとイエスは、「さあ、あなたがただけで、寂しい所に行って、しばらく休みなさい」と言われました(マコ6:31)。その場には多くの人たちが出入りし、弟子たちは食事する暇さえなかったからです。そこで、弟子たちは出て行き、自分たちだけで船に乗り、寂しい所に行きました(31-32節)。
今日も大忙しですか。しかし、くつろいだり楽しんだりする時間をとっても良いのです。そうして心身ともにリフレッシュし、他人により良く仕えましょう。イエスは、そのように助言なさいました。また、私たちみんなにそれは必要です。私たちは、そこで主と交わるのですから。
神と静かな時を過ごすことによって、神から静かな休息をいただくことができる。
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