Sunday, September 29, 2013

自分の罪をいい表す=自分に向き合う?

毎日読んでいる言葉の中に、うまく失敗する方法、というのがありました。

失敗を成功に変える3つのこととして次のことがあげられていました。

1)正直に失敗を認める。決して成功したように見せかけない。
2)失敗を生かす。その経験を絶対に無駄にせず、そこから貪欲に、出来るだけ学ぶ。
3)失敗を再挑戦しないことの言い訳にしない。

失敗は決して終わりではない、失敗をどう生かすかが恵みの中を成長し続けるコツです。
そして、失敗を成功に変える第一歩は、

「自分の罪を言い表すこと。」

と、ありました。

ドキッとしました。
最初にあげられた3点も、勿論そうですが、まず、自分の罪を言い表さなければならない、
その言葉が、心に刺さるようで、消すことが出来ません。
罪の意識もとても薄かったけれど、そう思っていたこと自体が、まず、罪でした。
罪が分らなければ、十字架の意味も曖昧、そして、救われたことへの恵みもピンと来ない。
洗礼を受けてから、もう、17年も経つというのに、実に曖昧な信仰でした。

私は恐らく、一度もきちんと、自分の罪を自分の口で言い表したことはなかった。
それは、つまり、自分自身ときちんと向かい合ってこなかった、ということ。
少し前まで、自分の罪さえも分らなかったこと=自分に真正面から向き合ってきていないのに、それを認めずに、なにかと、言い訳をして、自分をごまかしてきた。
いつまで経っても、その事が、ちっとも分らない私に、偉大なる方は、家族の問題を通して、
ここでの生活に、私を送られた。

そして、十分すぎる広い空間も、生活に最低限必要なものも、そして、仕事まで、
与えてくださった。

神の国と神の義をまず求めなさい、全てのものは与えられる・・・ハレル、ハレルヤ ♪♪♪

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