Wednesday, December 24, 2014

Merry Christmas to Everyone !

今日は12月24日、クリスマスイブです。

一番のクリスマスプレゼントは、神様の愛を、受け取ること。

23日は、教会でキャンドルサービスの礼拝がありました。
私も、及ばずながら、ソロをつとめる姉妹の伴奏、という恵みに預かりました。
「久しく待ちにし」、そして、「主の翼の影に」
姉妹の自由な歌声に順応できるだけの力がないのが、申し訳ないのだけど、
こんな私に声をかけてくださった姉妹に、本当に感謝しています。


24日の朝は、8時半に自動車免許試験場に行き、
外国免許切り替えの実技確認の試験。
この日は予約をしていなくて、キャンセル待ちで受けました。
寒いので、殆どの方が、中の待合室で待っていました。
私もその一人。
ふと、気になって、外に出て、数分したら、急に、試験管から、名前を呼ばれ、
受付順番のとおりではなかったし、中に居たら、聞こえなかったなあ~~
よし、幸先いいぞ~と、実技開始。
前回の試験から、二ヶ月近く経っていたけど、
今まで、自分が何時も運転していたように、と思ったら、
あまり、緊張しないで完走できた。
「左折時に、きちんと路肩に寄れずに、大回りになっていることが
何回かあったので、注意してください。」
とのアドバイスだったので、また、だめかなあ。。。と。

待つこと一時間くらい。

「今日は合格された方が二人居ます。」
いいなあ~~と思ったら、
私の名前が呼ばれて、思わず、飛び上がってしまいました~!!
もう一人のスリランカから、という方と一緒に、わいわい。


7月に、免許証の翻訳文を取りに行き、夏は暑いから、と、パスして、
9月から始めた免許取得への道(おおげさ)。
今日は、実は5回目で、これで落ちたら、もう、やめようかな、と思っていたくらい。
思いがけない、二番目のクリスマスプレゼントでした。

午後は、前から行きたいと思っていた、天王町にある、松原商店街へ。
お正月のための食料品も一杯並んでいました。
キムチをつけようと思っているので、韓国のお店で中挽きの唐辛子。
中国のお店で、玉蜀黍の粉と八角。
乾物屋さんで、干しえびとアンチョビ缶。
八百屋さんで緑鮮やかでおいしそうだった、シュガースナップピーなどなど。

そのあと、東北支援クリスマスコンサートを聴きに行きました。
出演していたのは、主に、韓国の若者。
活気に満ち溢れて、実力もある若者たちの心からの賛美に感動しました。
ヨハネ3:16からのメッセージ。
神様の愛を受け取ること、神の声に従う時に、自分に与えられている使命が分る、
と言う力強いものでした。


最後に、もう一つ、クリスマスの恵みが。
帰途、電車を降りたら、どこからか、賛美歌の歌声が。
思わず、走り寄ったら、知っている教会の方がいらしたので、ちゃっかり参加。
「懐かしくって、嬉しくって、一言お礼を言いたくて」と、
言ってくださった方、嬉しそうに観ていってくださった方もいらして、
最後に、また、神様の恵みを受けて、幸せなイブの一日でした。

皆さんも、どうぞ、素敵なクリスマスをお過ごしください。
神様からの愛のプレゼント、
一人子を私たちのために、下さった最高のプレゼント、
を、どうぞ、受け取ってくださいね。







Saturday, December 6, 2014

12月のブローチ!


12月になると、アメリカのお友達が下さった、
この素敵なブローチを真っ赤な、可愛い箱の中から、取り出します。

これで、クリスマス気分が、急上昇~!?

アメリカでも、サンクスギビングが終わる前から、
クリスマスの飾り付けが始まるようになったように、
日本では、クリスマスとお正月のものが、一緒に、並んでいます。

去年は父が亡くなり、クリスマスイブが前夜礼拝、
クリスマス当日が、葬礼拝でした。

今年は、クリスマス、という、
私たち一人ひとりに与えられた最高のプレゼントに
感謝して、ゆっくりと過ごしたいな。

初めてのダウンコート


去年、アメリカから持ってきたコート類では、
日本の寒さがしのげないことが分り、
でも、今年は、少しは慣れたかもしれないから、
防寒用の肌着やらタイツを重ねれば、何とかなるかな、
と思っていたのですが・・・

この土曜日に勤務先で、冬のバザーがあり、半日、戸外でのお菓子の販売、
そして、その日がと~っても寒い一日になる、との予報で、
やはり、、、風邪をひくよりは、、、、と,
思い切って、ダウンコートを買いました。

スラックスも、防寒用のもの、さらにレギンスをはいて、
「寒さにめげないぞ~~~」と、言い聞かせ?、臨みました。
靴の中用のホッカイロを頂いたこともあり、
寒さを殆ど感じずにすごすことが出来ました!

やはり、ダウンコートの威力はすごいな~~

Thursday, November 27, 2014

秋の夜長。

秋の飾りつけと、
Preserved flower をいれた クリスマス用の飾りつけです。
ピンクの薔薇1本と赤い薔薇2本。
がくと、外側から、6~10枚くらい、
花びらを一度はずして、様子を見ながら、
花びらを少しずつ開いて、
また、グルーガンでつけて、
表情をつけてゆきます。
そのほかの飾りと一緒に、
オアシスに刺して、ブーケに。




そして、ちょっと肌寒い晩には、Spiced Hot Apple Cider.
身体を暖めてくれるスパイスが沢山入っているので、
風邪のひき始めかなあ~~と言う時に、是非!!

Happy Thanksgiving !

 
今日は、感謝祭。

ターキーは、さすがに無理だけど・・・
駅前に鶏肉専門店があるので、骨付きモモ肉を頼んで、おきました。
     
     ***** 感謝祭のメニュー *****
鶏モモ肉のオーブン焼きとスタッフィング、サンザシジャムを添えて。
根菜のハーブ焼き
パンプキンパイと生クリーム

          Give thanks with a grateful heart,
              Give thanks to the Holy One,
        Give thanks because He's given Jesus Christ, His Son.
          And now let the weak say, "I am strong!"
    Let the poor say, "I am rich because of what the Lord has done for us!"
              Give thanks.

やっと、心から、この歌を賛美できるようになりました。
あなたは、なにに、感謝を捧げますか?
どうぞ、素敵な感謝祭を!




 

Saturday, November 15, 2014

奏楽

10月から、今の教会で、奏楽のお当番が開始!
毎月第三日曜日が基本。
アメリカの教会では、余りなじみのなかった賛美歌が多いのですが、
10月は、「輝く日を仰ぐ時」が、賛美歌のひとつで、とっても懐かしかった。
前奏にも、そのアレンジを弾きました。
今、ピアノがないので、練習は専ら、教会
(デイサービスをしているので、其処がお休みの木曜日に。)か、
今、住んでいる家の前にある、コミュニテイーハウスの
ピアノがあるお部屋が空いているとき。
いつでも家にピアノがあって、いつでも好きな時に弾けたときよりも、
むしろ、計画的に?一生懸命練習しているかもしれない。

先月は、いくら練習しても、ちっとも弾けなくって、
「あ~~これじゃ、みんなが歌えないな~~」
と、かなり絶望的でした。
おもいきって、休憩してから、練習再開。
ゆっくりでも弾けなかったのに、もっと速いテンポだということが分って、
益々、「望みも消え行くままに」の心境。
ところが、なぜか、却って、指が軽くなって、
弾けるようになったのだから不思議!

と、言いつつも、やはり、当日は、例のごとく、ミスキーの連続でしたが、
緊張しつつも、背後に教会の兄弟姉妹の温かい励ましを感じ、
とても温かい平安の中で弾く事が出来ました。

さて、2回目の明日。
いつもの賛美歌に加えて、毎週違う賛美歌が2曲ほどあるのですが、
その一曲を聴いたときに、思わず、涙が出そうになりました。

奏楽を始めた頃、レッスンを受けていた、アルメニア系の先生。
とにかく、奏楽を50年以上も続けていらして、
賛美歌なら、何でもござれ、という方でした。
ある日、ラジオで聴いた賛美歌がとっても綺麗な曲だったので、
早速、先生に、さわりの部分を口ずさんでみたら、
すぐに、譜面を出してくれました。
それが、明日、弾く讃美歌の一つです。

明日は、先生との沢山の思い出をかみしめて、弾けたらいいな。

Thursday, November 6, 2014

散髪

約半年ぶりに髪を切った。大家さんお勧めの美容室。
自分の髪のくせを活かし、なおかつ、広がらないような髪形を希望。
多少、レイヤーにするのかな、と思っていたら、
全体としては、ボブ風で、中をそぎましょう、とのこと。
へ~~中をそぐのか、、、確かに軽くなりました。
そして、くせを活かすのなら、いっそのこと、ブローせずに、
ムースで整えるくらいの方がいいですよ、ということで、
しばらくは、その方向でいってみようと思っています。

ただし・・・
「今起きたばっかり’’’」という風にならないようにするのが、
結構、難しい?

Friday, October 31, 2014

数えてみよ、主の恵み

以前は何気なく歌っていたものですが、本当に、今の私は、
とっても数え切れないほどの主の恵みの中に居ます。

初めて仕事を得た福祉関係の職場。
そこで出会った、素晴らしい上司や、職員の方たち。
そこに毎日通ってくる利用者の方たちは、私には、天使のような存在。
(全員ではないけどね。。。。)
知的障害のある、私の大好きな天使の一人は、
私たちが忘れているような純粋さ、または、普段隠して生きているような本音、
それらを羨ましい位に、ごく自然にそのまま出して生活しています。

今日も、おやつの時間に、職場で焼いた御菓子をおいしそうに、頬張りながら、
「ぼく、幸せだなあ。」
と、すごく自然な素敵な笑顔で言う、もう一人の天使がいました。
何時もそんなにニコニコしているわけではなく、
へそを曲げてしまう時には、まるで別人のような怖い面持ちになるのですが、
上司に、「幸せ?」と、聞かれたときに、
「はい、幸せです!」と、即答したのも、この天使君。

日本で与えられた教会にも、沢山の素晴らしい信仰の兄弟姉妹がいます。
10月から始まった奏楽のお当番。
19日がデビュー?!でしたが、久しぶりの奏楽なので、ひたすら、練習。
でも、いくら練習しても、一向に曲想もつかめず、ちっとも弾けない。。。
それでもめげずに続けているうちに、ふっと、何かが吹っ切れたように、
急に、指が動くようになりました、これも不思議な恵みでした。
とはいえ、当日は、例によって、間違えましたが、緊張のど真ん中に、何か、
ふわり、と柔らかな光が宿っていました。

その姉妹の一人に紹介して頂いて、今住んでいるこの場所の大家さんも、
同じ信仰を持つ、茶目っ気たっぷりの、楽しい姉妹。

そして、今、この私の独りよがりなブログを読んでくださっているアメリカの兄弟姉妹。
そのお祈りに、何よりも、力を頂き、そして、主の恵みの原点になっていることを、
本当に、心から、感謝いたします。


文化晴れ

9月16日から、外国免許の切り替え手続きを始めています。

学科試験は、常識の範囲にとどまる問題10問で、すぐに合格。
実地も簡単ですか?と聞いたら、即、
「いいえ、難しいと思います。」と言う答えが。

本当に、もう、その通り、、、既に四回、不合格と言う有様。
仕事が休みの日は、その実技確認の試験、
土日は、講習を受けたり・・・・と、気が付けば、もう、11月!

「今年中に何とか受かればいいか。」
と、沈みそうな??気持ちをリフトアップ。

さて、11月3日は、去年天に召された父のお誕生日。
「11月3日は、文化晴れ、と言って、誕生日は、何時も、いいお天気なんだ。」
と、ニコニコしながら言っていた父の笑顔を、思い出します。

確かに、私の記憶にある限り、何時も、文化晴れの、抜けるような青空でした。
ところが、今年は、どうやら、予報によると、雨模様とのこと。
父がもう、この世には居ないからなのかなあ~
なんだか、寂しいな・・・


Friday, August 29, 2014

久しぶりの味

職場でパンを久しぶりに焼きました。
三種類のパン、それぞれ20個ずつ
合計60個の注文を受けて、焼いたパンです。
初めて、以前、アメリカで焼いていたような出来のパンが
焼けました。以前に焼いていた時と何が違っていたのか、
と考えると、唯一かわった材料はドライミルクです。
何時も職場の冷蔵庫には牛乳が入っているので、
いままで、牛乳を使っていました。
牛乳は生地を締めるので、水分を調節していましたが、
いまひとつ、生地に味わいが足りなかったり、
ふんわりとしなかったり、、、
この職場は御菓子を焼くところなので、余りパンを焼くことはないのですが、
これをきっかけに、もう少し定期的にパンの注文が入ったら嬉しいな~

 これは上司が考えた、トマトをバジルと一緒に煮込んだものを、
中に詰めて、上を切って、チーズを散らしたパンです。
焼きあがってから、バジルの葉を上に飾って。
下はカレーパン。
上は、アップルパイ用に煮たりんごの甘煮を巻いて、
三等分して、切り口を上に向けて焼いたパン。


Monday, August 18, 2014

夏野菜で元気に!

最近のご飯の写真を載せました。
 

 茗荷を沢山、味出しに御揚げを少し入れて炊いた今の季節ならではの茗荷ご飯。
      お友達が送ってくれた、メキシコの缶詰を使った Tortilla Soup.
         香菜のかわりに、三つ葉をたっぷりとのせて。
  余談ですが、ご飯を炊いた鍋は、百円ショップで見つけた物、
                                           なかなかの出来栄えです。



紫蘇ジュース、南瓜のリゾット、西瓜の皮の浅漬けと蒸し大豆の和え物、
     トマトと胡瓜をクランベリーヨーグルトソースで和えたサラダ、
  後ろのスープは多分、Tortilla Soup. 無国籍ならぬ、多国籍?メニュー。



       
なぜか、日本に来てから、ずっと食べたかった、メキシコ料理。
    (アメリカを出たアメリカ人が一番ミスするのが、メキシカンだそうで、      
            それなら私もアメリカン?
いえいえ、他の国に居たら、一番食べたかったのは、和食だったでしょう。)
先日、教会の姉妹方とメキシコ料理のレストランでランチョン、と聞き、大喜び!
 日本人には大皿盛り、アメリカ人なら、足りないかもしれない、と言う盛り加減。
              しっかり堪能、美味しかったです!
          食後のメキシカンコーヒーもなかなかのもの、
      「作り方は至って簡単ですよ。」とお店の人が教えてくれました。
      コーヒー豆と一緒にシナモンも入れて、一緒におとすのだそう・・・

              
          冬瓜と豚肉の薬膳風スープ。
                   夏野菜の中華風マリネ。


             

              最後に、今夜のメニュー。
        今日は職場で会議があるので、帰宅が遅くなるため、
   事前に用意しておいた五目豆と、あとは、納豆などなど、で
              簡単に夕食!の予定でしたが、
   大家さんから、嬉しい差し入れが沢山!
         おだしの味がよく染みた切り干し大根の煮物、
          もずく、うっすら味のお豆、胡瓜のお漬物。
        とたんに、立派な和食デイナーとなりました。
                満腹~!

Saturday, August 9, 2014

神の道

            **********
      私たちの目には障害や壁しか見えないところに、
        神は道を造ることがおできになります。
         前途が不確かだと思えるとき、
      神が過去にしてくださったことを思い出しましょう。
    どのような状況でも、神はひたすら道を造ってくださいます。
      その道は私たちに、神の愛と力を示してくれます。
        私たちの救いのために道を備えた神は、
       日々の試みの中で必ず私たちを支えて下さる。
            **********
 
今日のデイリーブレッドからの抜粋です。
私には、「神の道」と呼んでいる道があります。
実際にある道なのですが、その道の上に、今の私の職場、教会があります。
教会にはデイサービスも併設されているのですが、
11月に、もう一つ、デイサービスが、新しくオープンします。
また、同じ道に、それも職場から1分くらいのところなのです。
 
これは一つの例ですが、このこと一つとっても、
一年前の私には想像も出来ないことでした。
たくさんの方たちの支えのもとに実現しているのですが、
やはり、人の知恵をはるかに超える大いなる方の存在を感じます。
 
職場で焼いたパンの写真、ご覧くださいね。
 
 
 
オーブンに入るのを待っているメロンパン、
           帽子をかぶったみたいでかわいいでしょう?
 


              オーブンに並んだパンたち! 
          メロンパン、ソーセージパン、5の字形のパン。
            あんパンは、既に焼きあがっています!

         
               さあ、みんなで食べましょう!
         昨日の職場での、「暑気払い」に用意したパンです。
            ほかに、そうめん、スイカも頂きました!

Friday, July 18, 2014

Life is simple after all.

口癖のように、「難しいですね」とか、「よく分らないよね。」とか、
ついつい、言ってしまいがちでした〔今もよく口に出してはしまいますが)。

でも、この頃、生きてゆくために必要なものはそれほど多くない、
人生は、思いのほか、シンプルなんだ、
と、感じるようになってきています。

先日の聖書の集まりでは、死、について学びましたが、
どんなにあがいても、どんなに色々なことが発見されても、
人は、誰でも、生まれたら、必ず死ぬ、ことは決まっている、というのは、
とっても不思議です、人の力ではどうすることも出来ません。
そうして、たどり着くところは、やはり、大いなる力がある、ということ。
誰でも、死ぬことは、こわいだろうとおもうのですが、
「神様が決められた時までは死なない。」
ということを信じる時に、心が安らぐのではないでしょうか。

自分が悪いと分っていても、言い訳をして、誤魔化そうとしてしまうこと、
相手のことを思っているといいながら、実は、過度の期待を心の中で求めてしまっていること、
神様から与えられている心身を大切にしないこと、
自分の想いだけを募らせてしまうこと、

まだまだ、数え上げれば、私たちが日々おかしてしまう罪は、
次から次へと、並べられそうです。

キリストの十字架の救い以外に救いはない、というキリスト教の基本理念も、
何となく、よく分っていませんでした。、
今も、分っているのかどうか疑問の余地はありますが、

ただ、今、思うのは、

自分の罪はその十字架によって赦されていること、
ですから、その十字架を通してしか、本当には開放されないこと、

それを、ある人は、
「そうやって宗教は、ほかのものと差別するから嫌だ。」
と、言うかもしれません。
でも、そうではないんだ、って。

十字架にかかって全ての人の罪を一身に担って死ぬと言うことは、
それだけ、厳しく、辛く、代わりなどきくものではないこと、
決して差別などと言う言葉で置き換えることの出来ないものであること。

「厳しいね。」

と、言う人もいるかもしれません、でも。
厳しいとかではなく、それだけ、真剣勝負であるということ、
秩序の方である神が、それだけ、私たち一人ひとりに対して、
真剣に向き合ってくださったと言うこと、なのではないかしら?

勿論、神は愛の方であり、信じる者全てを赦して包み込んでくださるのですが、
十字架とその救いにおいては、決して妥協なさらない方だと思うのです。

神様を信じるときに、そのことだけで、人は救われ、罪赦されるのですが、
でも、現実に生きているこの世の中では、許してもらえないこともありますよね。
自分のせいだったり、自分には身に覚えのないことであるかもしれません。
でも、その人たちが自分に対して、怒りをもち、赦してもらえない時、
どうしたらいいのかなあ??というのが、今の私の神様への質問。

でも、優しく厳しい神様を信じるときに、
その方を信じて委ねるときに、
人生は、実はそんなに複雑じゃあない、
と、思えます。

Sunday, July 13, 2014

しばしのアメリカ滞在を終えて。

6月12日~30日まで、一年ぶりに、アメリカの自宅で過ごしました。

先ず、13日に、長女の卒業式があったので、羽田からLAXへ飛びました。
彼女は、小さい頃から、ある面、とても独立心の旺盛な娘でした。
小学校三年生の時、アメリカの学校と、当時通っていた日本語の補習校の両校で、
「もう一年、同じ学年をしたい。」
と、言いだしました。
「今までずっと一緒だったお友達と違う学年になっちゃうのよ。」
と、言っても、
「クラスの中で授業が分らないのは嫌だから、もう一年やってみる。」と。
アメリカの学校は、三年生を二年間しましたが、その後の様子を見ると、
それは、彼女にとって、正しい選択でした。
当時の校長先生はそのことに好意的ではありませんでしたが、
彼女の担任の先生初め、何人かの先生たちが、彼女の気持ちをとても尊重して、
心底、応援してくれたことも、忘れられません。
大学も、紆余曲折、結局、卒業まで、三年多くかかりましたが、
専門は一貫して同じ、納得の行く学校を卒業できて、よかったと思います。
三年多く、と言えば、その時は、長いようですが、
長い人生の中では、ほんの僅かな期間なのですものね。
本当に、心より、おめでとう!
「何でも出来る、一人で出来る!」
・・・これが、2,3歳の頃の彼女の口癖でしたっけ。

それから二週間後の27日には、長男の卒業式がありました。
日本では、動物介護士にあたるのだと思いますが、彼も、また、
ここに至るまで、きっと沢山の自問自答があったのでしょう。
でも、あせらず〔表面上は、そう見えました)、マイペースで、
自分の道を捜せたことは、素晴らしいと思います。
子供の頃、バークレーのラボラトリーや、リトルファームに、
動物を見にいったことが、懐かしく思い出されます。
本当におめでとう!

その合間に、友人たちに会ったり、
久しぶりにYMCAでヨガのクラスに出て旧交を温めたり、
一年ぶりに我家のパン工場?でパンを焼いたり、
福祉施設を見学させて頂いたり。。。。
と、あっという間の盛り沢山の日々でした。

日本に住んでからの一年、本当に、信じられないほど、
次から次へと、幕がひとりでに開いてゆくように、
生活が、少しずつ、調えられてゆきました。
沢山の素晴らしい方たちに助けていただいたこと、
自分では思いもかけないことでしたが、生きがいと思える仕事にめぐり会えた事。
その全てが、どれも大切な、愛おしいものです。

そして、喜びと不安の入り混じった一年ぶりのアメリカ。。。。
以前にはそれほど気が付かなかったこと
・・・それが、どんなに些細なことであっても・・・
アメリカの善さ、温かさとでもいうのでしょうか。。。
ああ、私は、こんなに沢山のことをミスしてしまったのかなあ、と思いました。

生まれてから29年間過ごした日本。
そのあとの29年間を過ごしたアメリカ。
さて、次の29年間(?)は、私はどのように過ごすのでしょう?

アメリカの今の家は、去年まで20年間、住んだ家でした。
それは、わたしの人生で一番長い間過ごした、思い出一杯の家であり、町でした。

でも、目に見えない、大いなる力に導かれるように開かれていった、
新たな日本での生活を思う時、
これは一体、どのような意味が示されているのだろうか、、、と想うのです。

心は家族のいるアメリカに馳せてしまいがちですが、
今は、ここで、自分なりの生き方を、
自分ひとりで、真剣に捜す過程にいるのかもしれません。
子供たちもしてきたように、納得の行くまで、自問自答して、
でも、大いなるお方の言葉に心の耳を傾け、
最後はその方に心から信頼して、ゆだねてゆく人生。

少し前に、近くの教会で催された伝道集会に参加した時の牧師先生の言葉を紹介しますね。

「すべての条件が調ったときに、自然に道が開かれてゆくのです。
それは、あらかじめ、神様があなたのために用意されていた道なのです。
その方を心から信頼してゆく時に、あなたの生き方もかえられてゆくのです。」

Tuesday, May 20, 2014

葡萄園のたとえ話

早くも初夏を思わせるような日が続いていますね。

さて、5月18日の聖日礼拝は、マタイによる福音書、20章1~16節の葡萄園のたとえ話からのお説教でした。
講師は、お招きした、関田寛雄牧師です。

たとえ話のあらすじは、こんな感じです。

ある家の主人が、忙しい葡萄の借り入れ時に、労働者を雇うために、夜が明けると同時に出かけてゆきました。
一日1デナリ(当事の最低賃金だそうです。)の約束をして、労働者を葡萄園に送りました。
まだ、人手が足りなかったので、九時ごろ、十二時ごろ、三時ごろにも出かけてゆき、同じように、労働者を雇いました。
五時ごろに行くと、まだ、立っている人々がいたので、彼らも、葡萄園に送りました。
夕方になって、仕事が終わった時、主人は、先ず、最後に送られてきた労働者に賃金を、1デナリ払いました。
最初から働いていた者達は、自分たちはもっともらえると思っていると、彼らも、1デナリずつもらっただけでした。彼らが文句を言うと、最初に1デナリの約束をしたこと、最後のものにも同じように払ってあげたいこと、自分のものを自分がしたいようにするのは、当然である、と言いました。

礼拝のメッセージの焦点→最後に雇われた労働者たち。

「なぜ何もしないで、一日中立っていたのか。」と聞いた主人に、
「誰も私たちを雇ってくれませんから。」と答た彼ら。


私は今まで、彼らが、ただ立っていただけで、一日中、何もしなかった、
いわば、怠け者のように思っていました。
ところが、関田先生のお話は、こうでした。

1)一日幾らなりで雇われる、と言うのは、保障されている人生です。
誰にも雇われない、と言うのは、不安なさすらいの人生。
どんな想いで、彼らが、「誰も雇ってくれないのです。」と、言ったのか、
彼らとて、一日中、其処に立っていただけではなく、仕事捜しに一日を費やしていたのであろうが、それでも仕事が見つからなかったというのは、どれだけ、不安であっただろうか、と言うことに、気がつき、その想いを分ることが大切。
2)1デナリ=一日生きてゆく為の最低賃金であるのなら、それは、いのちの証しであること。
だから、たとえ一時間しか働かなかったとしても、いのちの尊厳性には差別はないこと。
3)一日中働いたものと、一時間しか働かなかったものへの賃金が同じである、というのは、
法律上の掟には、反するかもしれない。
けれど、それよりも上の掟=神の国の掟=汝の隣人を愛せよ、という掟に従ったと言うこと。
4)それが、神の国(国境のある空間ではなく、神のありの有る処全て)である。
仮に、どんなに豪華な家に住んでいたとしても、其処に住んでいる者の間に、愛がなければ、単なる HOUSE であって、HOME ではないこと。
5)神の前では、全ての人間は等しい祝福が与えられていることを表すために、
このたとえ話が話されたこと。


このたとえ話は、何度も聞いたことがありましたが、
このように、最後になった者の、それまでの想いに、気持ちをはせたのは、
はじめてのことで、新鮮な驚きがありました。

聖書の深さを思うと同時に、それは聖書の中だけのことではなく、
日常生活においても、自分の発した言動が、相手にどのような想いを与えるのか、
また、誰かが、自分に対して言ってくれた言葉や行動にも、
もしかしたら、自分には思いも至らない、
その人の想いがこめられているのかもしれないこと。
まだまだ、私には、その気持ちが足りないことを、思いました。

Saturday, April 5, 2014

日本の春、桜満開!

今日、4月5日は、末娘、彩の23歳の誕生日です!
最後の赤ちゃん、と言うこともあって、心行くまで母乳で育てよう!と
思っていたのですが、そんな母親の思惑など勿論気にせず、、、
8ヶ月の時に、風邪で発熱したその時、自分から勝手に?段乳。
意志が強く、自分で決めて行動、はこんな赤ちゃんの時から。

日本の春、桜が満開になり、お花見に最適な一週間となりましたね。
仕事が新年度が2日から始まる、ということで、1日が休みだったので、
妹が、母と私をお花見に連れて行ってくれました。
桜の木々が密集して咲いているさまは、本当に幻想的、
「日本昔話」のテーマソングが耳元にきこえてきそうな。。
桜の花の淡い薄墨がかったピンクと青い空の相性のいいこと!
(と、これは、母の言葉ですが。。)

今、こうして日本で生活していることの意味の一つに、
色々な問題を抱えている実家の問題もなんとか、、と、気負っていた私。
でも、この日、お弁当を食べながら、綺麗な桜を見ながら、
昔話など三人でしていて・・・
その想いが自然と消えてゆきました。
こうして、毎年、両親を仕事の合間を縫って、お花見をはじめ、
色々として来てくれていた妹。
その事が実感として迫り、彼女への感謝の気持ちがあふれました。
きっと、このように、実家のみんなとの時間を過ごすこと、
それが、問題云々、、よりずっと大切なこと。

自分のありのままをそのまま、先ずは受け入れてみる、といいながら、
この家族の中で私は育ったのだ、ということを忘れていたかな?

育ててくれた両親への感謝、一緒に色々な思い出を作ってきた妹と弟。
例え、どんな問題があったとしても、まず、その前に、穏やかな気持ちで受け入れる。
そのことによって、忘れていた感謝の気持ちや懐かしさ。。。が思い出される。
問題を解決する、のではなく、先ずは、そこからの出発。
誰かを裁くことも、非難することも、ましてや、自分が何かしてあげる、
などというのは、なんと傲慢なことだろう、と。

自然の力はすごいなあ~~
強く主張するのでもなく、ただ、そこに、ありのままの自然な姿でいるだけなのに、
こうして、色々なことを教えてくれる。
やはり、それらを創造された大いなる方の、何時も送られてきているメッセージなんですね。



Thursday, March 20, 2014

パン焼けています~!

オーブンを購入して、
昨日、大家さんが、使ってないから、
「よかったら使って。」、と
パン焼き器を貸して下さいました。
さて、これで、役者が勢ぞろい。

それで、今日は、パン焼きの一日でした。

シンプルな比較的リーンは生地で、4種類。
プレイン、クランベリー、ハーブ、
そして、ゴマ味。

材料を計量して、生地をパン焼き器で
ある程度まで捏ねて、
様子を見ながら、
手で捏ねて調整して。

一時発酵は、オーブンの中、と
発砲スチロールの中の二箇所で。

それぞれの生地を丸パン2個と、
バゲット風1本に分割して丸め。

ベンチタイムの後、成形、最終発酵。
そして、焼成。

早速大家さんにもおすそ分け。
私も夕食に食べていたとき、
大家さんから電話で、美味しかったって。
あ~~よかった。
しばらく、また、
パン焼きの日々が続きそうです!



Wednesday, March 19, 2014

オーブンのある幸せ。




こちらに来てから、ず~~と、我慢してたけど、
なくっても何とかなるさ・・と言ってはいたけど。
実は、欲しかったオーブン。

引越しを機に、最低限の家電製品を中古で探していて、色々と悩んだ挙句に
購入する冷蔵庫を決めた時、ふっとすぐそばに、電子レンジとオーブンの機能の
両方が備わっているものを発見!!
新品だと、数万円していたので、ちょっと無理、と一端は、あきらめていたのですが、
その何分の一かのお値段で、

「私、ここにいるよ~~」

とでも言うかのように、置いてあったのでした。

中古だったので、説明書がなかったのですが、
そして、この頃のものは、沢山の番号がついていたりして複雑そう・・・なのですが、
な*ん*と*か、ケーキが焼けました!

丁度その晩、参加している友の会の方からお電話で、
4月にパンを焼くお当番が回ってきた、とのお知らせ。
友の会では、集まりがある時に託児の用意をすることがあって、
そこで、お子さんたちに出す、花形パン、と言うパン。
友の会の歴史と同じように、長い間、焼き継がれてきたパンだそうです。
花形になっているのは、小さいお子さんでも、ちぎって食べやすい、との配慮から。
さて、さて、パン焼き始動です!

Sunday, March 9, 2014

南から東へ、新しい生活。

去年のクリスマスイブには引っ越す予定でした。
契約二日前、教会のお友達が素敵なお話を持ってきて下さって、
今の場所が与えられました。
本当に抜群の素晴らしいタイミングでした。

その後、この地では珍しい大雪で、引越しが延期になること二回、
ここでの生活が本格的に始まったのは、2月28日でした。
引越し、といっても同じ町内、というのでしょうか、
同じ地名の最初が南から東に。

もともと少し高台に建っているお家、一階部分がガレージ、二階部分が大家さん、
そしてわたしは、三階部分にお部屋を借りています。
おまけに屋根裏部屋があって、そこは4階??になるのかな。。。
友人の言うとおり、晴れた日、窓から、富士山が本当に見えました。
真っ白に雪化粧した富士山、やはり、姿がいいですね。
アメリカのお友達にも散々自慢したのですが、
なにやら、アルプスの少女ハイデイのような気分の屋根裏部屋。

新しい場所での生活がスタートして、8ヶ月前の自分を思い出しています。
どうしてこんなことになったのだろう?
一体私の何が、どんな風にいけなかったのだろう?
自問自答し、でも解決の糸口さえ見つからず、
だから、いくら考えても、何をどうしたらいいのかさえも分らなかった。

でも、ふっと、
何も分らない、と言うことが分ったことだってよかったんじゃない?
先ず第一歩だったんじゃない?
と思えるようになった。

原因さがし、言い訳などを全部はじいてみた。
言いたい事がたとえ一杯あったとしても、
先ずは、それを消してみる=考えない!
ただ、事実だけを、ありのままに受け入れてみる。
何が悪かったか(過去)、ではなく、
これから、何をしたいか(未来)、そのことに焦点をあてる。

すると、自分がこうしたいから、と言う気持ちを余り持たずに、
生きてきていただろう自分が見え始めてきた。
勿論、嫌なことをしてきたわけではないけど、先ずは自分の気持ちに率直になる、
自分の意思を第一にする、という生き方をしてこなかったので、
本当に好きな人、本当にしたい事等々・・・
段々、どんどん、曖昧になってしまったみたい。

そして、そんな曖昧な、いわゆる自立していない人間がそばにいたら、
どんなに、ストレスになるか、どんなに疲れるか、
そして、そのうちに、もう何も話したくなくなるだろうな・・・と言うことも分ってきた。

今、こうして自分と向き合う時間と場所が与えられていること、
これはこの上もなく、贅沢で幸いな時であることをあらためて感謝しています。







Saturday, February 1, 2014

2014年の抱負!?

最後に更新してから、色々なことがありました。

11月3日が、父の誕生日で87歳になったことを書きましたが、
12月20日に、その父が、天国に召されました。

今、思い出すのは、小学生の頃、母が病気になった時に父が作ってくれたお弁当。
確か、なにか五目ご飯に卵焼きなどなど、、、だったように思うのですが、
子供たちの好物だ・け・を詰めてくれて、大好評だったこと。
くり日記という、父が私が生まれる前からのことを書いてくれた日記のこと。
冗談を上手に交えながらの楽しい、分りやすかった父の眼科学の授業のこと。
そして、母の若かりし頃の写真をずっと財布の中に入れていた父の想い・・・

葬儀は、偉大なる方に導かれるように、キリスト教であげることが出来ました。
現在通っている教会の牧師先生が快く引き受けてくださり、温かい式になりました。

前夜礼拝(いわゆる通夜にあたります)が、クリスマスイブ。
みんなで、神様からのメッセージを聞き、
讃美歌(いつくしみ深き、主よみもとに、神ともいまし)を歌い、
白とピンクの綺麗なカーネーションで献花していただき、
そのあとは、来てくださった方たちと、和やかに一緒にお食事をしながら、
お話しするひと時を持つことが出来ました。

葬礼拝がクリスマス当日。
少しプログラムは変わりましたが、同じように神様からのメッセージ、
賛美歌、献花、クリスチャンのお友達も来てくださいました。

子供の頃、おじいちゃんのお葬式で、出棺のまえに、みんなが釘を打つ、ということがあって、
ずっと、辛い思い出となっていたので、私は、それが、とっても嫌でした。
でも、キリスト教の式では、それがなく、本当に、心から、ほっとしました。
だって、父はこの世からは去りましたが、また、天国での再会が約束されていますもの、
釘をうってまで、お別れをする必要はないのですものね・・・



そして、アメリカから、主人も来てくれて、胸があつくなりました。
私はずっと実家で過ごしていましたから、彼と二人で過ごしたのは、
アメリカへ帰るという当日の、数時間でしたが、
一緒にお昼ご飯と夜ご飯を食べて、話をして。。。
ごく、普通のことなのに、その事が、とっても嬉しかったです。
主人の好物のお赤飯を炊いてしまってから、食べる時になって、二人で、
あ、お葬式が終わったばかりだったのにね、、、と思わず笑ってしまったり。
(キリスト教でのお別れができたので、私には永遠の別れ、と言う気持ちがないせいか。。。)

本当に、幸せとか、大切なものって、
自分の気持ちしだい、ごく普通のことの中にも、あることを、
言葉では知っていても、初めて実感したひと時でもありました。

日本に来る前、来た当初も、私は、何がなんだか、ちっともわからなくって、
大きな不安の中に居ました。
わからないことが、辛かったし、何で分らないんだろうって、自問自答の日々でした。

でも、今、思うのです。

自分のことを知るためには、まずすべてをありのままに受け入れること、
そこから始まる、と思っていたのですが、
その前に、というか、その中に、
自分は何も分っていない、ということを、先ずは分る、認識する、
と言うことも、実はとっても大切なプロセスとして、あったのだなあ、ということ。

そのように考えてゆくと、今まで、複雑に絡まっていたかのようだったパズルが、
するっと解けたようにさえ、思える、見えてきたのです。
やっと、少しだけ、自分の心を素直に開放することができたのかなあ~

例えば・・・

何でこんなこと言われなければならないの、、と思っていたことが、
相手が一体どんな気持ちで、伝えようとしてくれていたのか、ということに想いが至り、
その想いが見えていなかった自分に気がつく、
そのことによって、相手の気持ちが別の形となって、見えてくる、というようなことかな?

沢山の方たちの善意、温かさ、神様の御心、沢山の信仰の友たちの祈り・・・
に支えられた2013年でした。
2014年は、その沢山の恵みを、しっかりと身につけて、動く!
そして、本当に自分は何をしたいのか、どうしたら、それが出来るのか、
それが出来るように、いつか、いつの間にかなれたら、、、、
そしたら、また、アメリカの家族の許に帰る日も来るのだろうか、
と、思っています。